時間軸をどう切り取るか
今回のイベントに参加させてもらって、思うところをまとめとこうかと思います。
今回の企画をしていただいたのは大分のフォーラス内に店舗を構えるアシッドギャラリーさん。東京でも店舗展開していて、特にアート性を全面に押し出しているショップさんです。
イベントに並んだテナントの顔ぶれを見てみてもその傾向は顕著だったと思います。業種はさまざまでしたが、どのショップさんもそのコンセプトの中にファッション性やアート性、おもしろさの追求みたいなものが垣間見えていました。
陶芸ブースは4人でやらせてもらいましたが、波佐見のヨシノヒトシさんの作品なんかは今回のコンセプトにうまくマッチしてたと思います。
その中でわたしのロクロを使った伝統的な手法での焼き物というのは、明らかに異彩を放っていました。異彩を放つというよりも、やや場違い的な雰囲気を醸し出していたといっていいと思います。
伝統工芸というのは、その時代時代によって立ち位置は違うとはいえ、基本的に「変わらないことがある」ことを前提としています。それはロクロを回して作陶することであったり、技法や道具、道具の製法、それらの扱い方などなど。
そして、現在活動している我々がどういう評価を受けるにしろ、最低限の仕事としてその技術なり技法なりを次の世代に引き継いでいかなければなりません(もちろん前提として技術・技法の習得があるのはいうまでもありません)。これは仕事というより使命といっていいものかも知れません。
一方、今回のイベントのようにファッション性やおもしろさの追求ということになると、どうしても「今」というものにフィーチャーすることになります。「今」のファッション、「今」おもしろいこと、というふうに。
それは時代の先端ということもできますが、意地の悪い言い方をすれば、時間の流れを「今」という刃物でスッパリと切った断面を見せているだけ、とも言えないでしょうか。
と言うといかにもそういったことを批判しているように聞こえますが実際はそんなつもりはまったくなく、価値観としての時間軸の捉え方がまったく違う分野同士だったな、という思いがあるということです。
ファッション性とは、言ってみれば切るたびに違う絵柄が出てくる金太郎アメのようなもので、一方で伝統工芸は同じ作り方で作られているアメがどこまでも長く伸びている感じでしょうか。
ただ全てが違っていたわけではなく、手作り感という面ではすべてのショップさん共通だったと思いました。なんとなくウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を彷彿とさせる試み、というと大げさかも知れませんが。
画家の近藤康平さんがアシッドギャラリーの店内でTシャツなどにオーダーペインとする企画などはライブ感バツグンでおもしろいことやってるな、と。チラ見しかできずちょっと残念…
このイベントの期間中、出店しているメンバーさん同士の懇親会を設けてもらい、舞台裏的な話もたくさん聞けてほんと貴重な経験でした。豊富なアイデアとそれを支える情熱、そして経験とそれに裏打ちされた実行力など、正直圧倒されましたね。
で、ついでなので私もボードリヤールを軽く引き合いに出して質問をさせてもらったんです。みなさんは自分の作品(や商品)が消費の対象、つまり記号となることをどう思いますか、と。
もちろんお勉強的な論争をしたかったわけではなく、実際に一線で活躍されてる方たちはどういう感覚でいるのだろうというところにとても興味があったので。
おもしろかったのはある方が言われた「記号はもうそんなに機能していない」という一言。
いろんなことを考え、考えさせられて勉強になった4日間でした。
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